もとい「がお(=~顔)」「ぶつぶつ」が正解かもね。書いてから気づいた(を
「ぶつぶつ」・・・かなぁw<にきび
ところで、このエントリと一緒に出てくるGoogleアドセンスなんですが、にきび関係のハナシばっかりなんですが、一体どんなキーワードに引っかかっているのか謎です。
一番ひどいのはですね、
「檄を飛ばす。」
NHKも民放も、アナウンサーが躍起になって使う。最近では新聞紙上でも書かれるのです。
昔、紙がない時代は、木簡や竹簡に字を書いていたのですが、諸侯に反乱などの決起を促す文書を書いた木簡、竹簡を「檄」というのです。
それを諸侯に送りつけることを「飛檄」すなわち、「檄を飛ばす」と言うわけです。
たかだか野球の監督如きが檄を飛ばすとは、お笑い種です。
激励の激と間違えたんでしょうが、激励は読んで字のごとく、激しく励ますわけですよ。
しかもほとんどの人が檄を飛ばすなんて言葉知らないもんで、勝手にどんどん使われてます。悲しいですね。
まぁ、誤用が転じてそちらの用法が定着してる表現とか結構あるんで、相手に意図が伝わるなら誤用でも別に問題ない気はするんですが。
それに、何かの拍子に間違えて覚えたことが自分の中で定着してて、やがてたってから間違いに気づくなんて、良くあることですよ、えぇ、ホント。
まぁ、モノによってはそもそも覚えたときは正しかったのに覆った・・・なんてのもあるけどw
しかし、誤用で有名なのはやっぱり「役不足」だけど、コレ、比率とったら正しい意味で認識されてる割合のほうが少ないんじゃないのか?と。
まあ、要はそもそもが誤用だった、というオチですか。
でもでも、なんかすっきりしない。
割と乱れた日本語嫌いなほうなんだけど、これは知らなかったなぁ。
理詰めで説明されるとワカランでもないのだけれど、やっぱりすっきりしない。
やっぱり、辞書に
「日本語は用法用量を守って正しく使いましょう」
って、書いてなかったのがいけない、ってことでどうですか?
どうですかぢゃねーょ>オレ。
否が応でも、否応なく、否でも応でも、否も応もなく、>是が非にも、無理矢理に
なんて意味ですね。
否が応でも=是が非でも>No=Yes、Yes=NOですね。
それに否は、いな(いやと読むが)の意味で、厭(いや)と意味が違うので。
でもはたとえ~でも。
にもは、~に対してもなので、にもは誤用。
まぁ、それほど強いってワケでもないですが<国語
「否が応でも」の「でも」て、「~でも」ってどちらか一方の選択ですよねぇ。
対して、似たような用法で使われがちな「にも」って、両方選択する用法なんだと思われ。
だから、「否が応『にも』」にしてしまうと、「否にも、応にも」ってな事になって実際には意味不明って事なんじゃないかと。
って、イメージはあるけど言語で説明すんの難しいなぁ。
いや、国語的に説明するなら、この場合の「でも」は打消しの意味の接続助詞で、そこにそういう意味の無い連語「にも」をおくのはどうよって話になるんだけど(汗)